脅威のフリーク集団、シルク・ド・フリークの一行は皿屋敷の街の外れにある廃材置き場にテントを張っていた。
本来なら人権や道義上の問題があり、大抵の国で禁止されているフリークショーを開くにはここがうってつけの場所であった。
今の時間はもうすぐ日付が変わろうとしている時刻。大抵の子供なら眠っているだろう。だがここに、眠らない子供が一人いた。
「日本かぁ。僕、一度来てみたかったんだよね。東洋の神秘!キモノにゲイシャ、フジヤマ!!」
漆黒の夜空を見上げながら、黒髪の少年はきらきらと目を輝かせながらそう言った。少年の背後からうむ、と重々しく頷く声が聞こえた。
「この日本はかつてマルコ・ポーロが黄金の国、と表現したほど様々な事物と独自の文化に恵まれた国だからな。我が輩も長いこと生きてはいるが、日本に来たのは今回が初めてだ。」
その低く太い声の主は、オレンジ色の髪を持つ、背の高いやせこけた男だった。青白い顔のその左頬には、縦に長い傷跡が見える。
「だがな、ダレン。のんびりと観光に洒落込むわけにはいかんのだぞ。我が輩たちはここに、フリーク・ショーを見せに来たのだ。今回の日本公演では、よじれ双子のシーブとシーサ、手男ハンス・ハンズ、歯女ガーサ・ティースに、世界一の太っちょ男ラムス・ツーベリーズと言った、我がシルク・ド・フリークの花形スターが休暇や何やらで欠けておる。その穴を、残された我が輩たちが埋めねばならないのだぞ。」
ダレンと呼ばれた少年は、ぷっと不服そうに頬を膨らませ、その素直な青い色の瞳に反抗の意思を宿して、男に口答えした。
「わかってるよ。でも、ショーは月曜からなんだし、明日とか、ショーの始まる前の休憩時間とかにちょっと出歩くくらいなら、いいだろ?」
クレプスリーという名の男はこめかみを片手で押さえながら、やれやれとため息を付いた。
「お前の好奇心の強さにはいささか閉口する。また厄介事を起こされるのは御免だぞ。」
「わかってるったら!!」
そこへ、ダレンは遠くに左足を引きずった青いローブの小男、彼らがリトルピープルと呼んでいる謎の人物の一人が、キャンプ地をうろついているのを見つけた。
「おーい、レフティ。」
ダレンは遠くのレフティに呼びかけた。
「今日のチラシ配り、お疲れ様。どう?僕達のショーに興味を持ってくれた人はいた?」
リトルピープルはこれまで、ただの一度も口を開いた験しがない。だからダレンも彼がレフティと呼ぶリトルピープルからの返事は期待していなかった。だが、この時レフティは立ち止まってじっとダレンを見つめていた。かすかにその頭が縦に動いたような気がしたが、その後すぐにレフティは左足を引きずり、歩き去ってしまった。
「日本見物もショーに支障が出ない範囲なら、まあ許すが・・・。だがダレン、明日あたりそろそろ狩りに行くからな、それを覚えておけ。」
クレプスリーのその言葉に対し、
「…うん。わかったよ。」
ダレンは心もち表情を引き締めて返答した。

 


 日曜日の朝は秋らしく澄みきった空が広がっていた。と蔵馬は霊光波動拳の大家、幻海の寺にいた。幻海の寺には、人間界と魔界との間の結界が撤去された今、たくさんの妖怪が居候している。彼らにボランティアで人間界について、二人は様々なことを教えていたのだった。
「いつもすまないねえ。」
客間で幻海はと蔵馬にお茶を出しながら礼を言った。
「いいえ。私達が好きでやっていることですから。これからの魔界と人間界のために必要なことだと思いますし。」
そう言ってはにっこりと笑った。
「彼らは魔界からの留学生みたいなものですから、しっかりと人間界に馴染めるように誰かがきちんとサポートしてあげなくてはなりません。」
蔵馬もの発言に同意し、出されたお茶をほんの一口啜る。
「おお、留学生って言葉で思い出したんだけどねえ…。」
茶道具を片付けていた手を止め、幻海が言った。
「来週の水曜日に、外国からの修学旅行生がうちの寺を見学しに来ることになったんだよ。」
「師範のこのお寺を?」
は赤瑪瑙色の瞳を見開き、幻海に尋ねた。
「うちの寺は結構古いからねえ。だから外国の連中にとっては珍しい物もたくさんあるらしい。こっちは特に断る理由もないから、見学を許したんだけどね。」
「今の時代は修学旅行も海外に行く時代になったんですね。盟王高校はいまだ定番の京都なのに。」
「聖ソフィアもまだ国内よ〜。場所は異国情緒溢れる長崎なんだけどね。海外に行ってる学校が羨ましいなあ。」
海外からやって来る修学旅行生達に、幻海のこの寺はどう映るのだろう?
と蔵馬はそう思っていた。
だが、これからやって来るその修学旅行生の一人が、特にに対して、後に面倒事を起こすということを、この時二人はまだ知ることができなかった。

「明日は夜の10時に迎えに行くから、よろしくね、。」
蔵馬はにそう約束し、幻海の寺のある山を下った二人はその日は別れて帰宅した。ショーの会場となっているのは街からかなり外れた所にある廃材置き場だ。早めに行くに越したことはないだろう。

自宅に戻ったは部屋の掃除や何やらの雑事をこなしているうちに、あっと言う間に日が暮れ、夜になってしまった。の力を使えば全自動で部屋中の掃除はできるし、洗濯物だって一瞬で乾くが、それではやはり味気ない。特に急ぎではない時は、自分できちんと体を動かしてこそ意義がある、とは考えている。

ちょっと遅くなってしまったけれど…夕飯の材料を買いに行こう。

はテーブルの上に置いてあった財布を手に取ると、玄関を開けて外へと出かけた。

秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものだ。時刻は夜の7時。けして遅い時間帯ではないが、外はもう真っ暗であった。近場のスーパーマーケットまでは歩いて10分。ほぼ道路をまっすぐに直進すればいいだけだ。
いつもと変わらない見慣れた道であったが、その時、の視界の端に、赤いものがチラリと横切ったような気がした。気になって、赤いものがよぎった方向に視線をやる。常人なら闇に溶けていくその姿に気がつかなかっただろう。だがはいくつもの厳しい戦いを勝ち抜いてきた精霊使い。およそ人間のスピードとは考えらない速さで細い路地の向こうへと去っていく赤い影をしっかりと捉えていた。コンマ一秒以下で、はそれを追う判断を下した。
赤い影は住宅街へと続く路地を突き進んだ。もその影に気付かれないように、尚且つ山猫のように素早く駆け抜けながらそれを追った。
しばらくして影は住宅街の広い通りで立ち止まった。ぼやけた赤い影にしか見えなかったものの姿が、お陰ではっきりと見えるようになった。
影の正体は臙脂色の今時古風な形の外套をまとった長身の男だった。外套の下の服装は黒い燕尾服のようだったが、尾の部分はまるで蝙蝠の翼を模したようにギザギザとした形をしている。さらに中には白いシャツを着ていて、そのシャツのラッパ水仙のように派手に開いた形をした袖が、燕尾服の足や手の裾から大きく出ている。まるで何かのステージ衣装のようだ。だが足元はラフなサンダルを履いていて、とても奇妙な感じがする。そして男はオレンジ色の髪をしっかりと後ろに撫で付けて整えている。青白いその顔には獲物を狙う狼のような鋭い瞳が2つと、左頬に縦に走った目立つ傷跡が見られた。
は広い通りには出ずに、男に見つからないように路地の壁に身を隠した。
「こんなに早い時間に狩りをするなんて、珍しいね。」
明らかに臙脂色の外套の男のものではない、年若い少年の声がした。
男の外套の陰から年の頃12,3歳の少年が姿を現した。声はこの少年のものらしい。黒い髪に透き通るような青い瞳が印象的だ。少年は淡い緑のシャツに青の地に金の縁取りが入ったジャケットを羽織り、紫のズボンの腰の部分に赤い布を巻きつけ、さらに履いている靴の先はくるりと上を向いて沿っている。一言で言うならまるで海賊のような格好をしている。
「まあな。だが、いついかなる時間帯でもしっかりと狩りをできるようでなければ、一人前にはなれんぞ。」
自分よりも遥かに身長が低い少年を見下ろしながら、男は諭すような口調で言った。
「はいはい。」
少年は聞き飽きたよ、とでも言いたげな眼差しで男を見上げた。それを受けて男はフンッと鼻を鳴らして薄く笑みを浮かべ、広い通りの遥か向こうを見つめた。
「そろそろ、良さそうなのが来るぞ…。」
男の鋭い目がすっと細められた。

広い通りを男と少年、そしての方へと登ってくる者がいた。終業時間の午後5時にすぐに会社から出て、酒場で一杯やって来たのであろうサラリーマンであった。まだ宵の口にも関わらず、足元がおぼつかない。ふらふらと千鳥足でこちらに向かって来る。そんな酔っ払った男も、自分にじっと注がれている臙脂色の外套の男と海賊の格好をした少年の異様な視線に気付き、顔を上げた。
その時−
臙脂色の外套の男が矢のように酔っ払った男へ向かって突進した。あっと言う間に男の懐に潜り込むと、その骨ばった手を男の口と鼻に当ててぐいと強引に上を向かせる。ほんの数秒で男は意識を失い、がくんと膝を付いてしまった。
臙脂色の外套の男は自分が気絶させた人物を重力に任せるままに落下はさせず、彼を丁重に電信柱に寄りかからせて座らせた。
そして男は酔っ払いのシャツの手首部分のボタンを外すと、裾を捲り上げて腕をむき出しにした。
何かを探るように酔っ払いの腕を撫でた後、肘の内側の肉の柔らかい部分に爪を立てて、そのまますっと横にその爪を滑らせた。
酔っ払いの肘からじわりと赤い血が滲んだ。臙脂色の外套の男はその赤い血に唇を近づけていった。

「そこで何をしているの!?」

威厳のある凛とした声と共に、は隠れていた路地の壁から飛び出した。
酔っ払いと臙脂色の外套の男の方を見つめていた少年がばっとの方を振り返った。
「クレプスリー!!」
驚きと戸惑いが入り混じった声で、いたずらがばれた時の子供のように慌てた視線を男に向ける。
男もはっとした様子で酔っ払いの腕から顔を離したが、すぐに元の老獪な表情へと戻り、厳しい眼差しをに向けながら少年に言った。
「落ち着け、ダレン。」

臙脂色の外套の男の眼差しは眼光鋭く、見る者すべてを竦ませるような威圧感を持っていた。左頬の長い傷跡と相俟ってかなりの迫力があり、並の人間ならすっかり怯えて早々に退散してしまうだろう。だがは少しも気圧されることなく、咎を許さぬ赤瑪瑙の瞳で男の瞳を見つめ返した。数秒間2人のにらみ合いが続いたところで、男の方が先に口を開いた。

「なるほど。これはかなり強敵のようだ。ダレン、そこを動くな。手出しは無用だ。我が輩に任せておけ。」

わずかな時間見つめあっただけで、臙脂色の外套の男は、がただ者ではないことを見抜いたようだ。男は酔っ払いから手を離すとすっくと立ち上がり、つかつかと歩み出て少年を庇うように彼の前に立った。との距離は2メートルほどだろうか。

「我々はバンパイアだ。この男から血を少し頂こうとしていたところだが…何か文句がおありかな?美しいお嬢さん?」

に対する言葉遣いこそ丁寧であったが、少しも親しみやすさがこもっていない口調で、男は問いかけてきた。

「バンパイア…ですって…?」

はいつでも戦闘に移行できる態勢のまま、目の前の2人の気の状態を探ってみた。この2人からは先日出会った青ローブの小男たちと同じく、妖怪特有の妖気はまったく感じられない。妖怪には人間の血を主な食料とする種族は少なからず存在するが、目の前の二人はそれらに該当しないことは確かだった。となると、が知る範囲で彼らの正体と推察できるものは、唯一つしかなかった。

「ひょっとしてあなたたち…人類の亜種としての、バンパイア一族の方かしら?」

の言葉に対して少年は派手にはっと息を飲み、男の方は少年ほどのリアクションは見せなかったものの、わずかに目を見開いた。

「ほう。我が輩たちの一族のことを知っておるのか。」
男は視線をほんの少しだけ下に落とした。が、次の瞬間再びきっと顔を上げ、さらに先ほどより厳しい目をに向け、言った。

「ということはお嬢さん、君はバンパイアハンターか何かということになるのかね!?」

怒号というわけではないが、静かな怒りが潜んだ低い声に加え、胸の前に出されたその骨ばった長い5本の指には、力がこもった鋭い爪が付いていて、自らの方を向いている。一般人が見たらすぐにでも逃げ出す、恐ろしい凄みのある光景だったろう。臙脂色の外套の男は明らかにを警戒し、何かあったらすぐにでも戦えるような態勢になっていた。

「違うわ。私は精霊使いなの。だから、普通の人間の目に触れない世界についてはちょっと詳しいわ。あなたたちが人類の亜種のバンパイア一族なら、危害を加えるつもりはない。安心して。」

は精霊使いである証拠、とでも言うように、片手を上げて掌の上に青真珠色の水気を湛えた光球を出現させた。

それを見た男はようやく安心したようで、力を込めていた手をふっと緩めて脇に下ろすと、深々と頭を下げた。

「これは失礼。何分、我が輩たちの一族のことを知っている人間には、ろくなことをしない連中が多いもので。精霊使いは数少ない我が輩たちの理解者だというのに、無礼な真似をしてしまったことを許してほしい。」

「いえ。あなたたちの苦難に満ちた歴史を考えれば、いきなり見ず知らずの人間に正体を見破られたとしたら、警戒するのは当然だわ。こちらこそ、失礼したわ。ごめんなさい。」

手に出現させた光球を消し、も言った。

バンパイア一族‐
人間の血を糧として生きる少数民族である。その起源はとある男によって狼と人間の血を混ぜて造られたなど、諸説あるが定かではない。普通の人間よりも身体能力は高いものの、日光に極めて弱いため夜しか出歩けないこと、そして何より人間の血を飲まなければその生命を維持できないことから、人々から魔界に住まう妖怪の吸血鬼と混同されて、迫害を受け大量に虐殺され、絶滅の危機に追いやられたこともある。実際の彼らは伝説のように不死身の残忍な化け物などではけしてなく、あくまで人類の親戚のようなものである。人間の血を吸うと言っても命に関わらない程度の量であり、子供や体の具合の悪い者からは絶対に血を飲まないという厳しい掟を作り、それを固く守っている。少量でも人間の血を必要とするためリスクを冒して狩りをしなければならないこと、日中には行動が制限されること、そして彼らが仲間を増やすためには自らの血を普通の人間に分け与えなければならないという手間を考えると、むしろ普通の人間よりも”弱い”生き物と言っていいかもしれない。

の目の前にいる二人はまさにレア度Sランクの少数民族で、も知識としては彼らのことを知っていたものの、実際に見るのはこれが初めてであった。男の方の爪は長くはないが先が鋭く尖っていることを除けば、拍子抜けするほどごく普通の人間と変わらない外見であった。

「それで…誤解も解けたところで、我が輩たちは、”食事”をさせてもらっても構わんかね?」

敵意のなくなった、古風だが紳士的な口調で男がに尋ねてきた。

「ええ。どうぞ。ルールを守った”食事”に目くじらを立てるほど、私はカタブツではないわ。」

にっこりと、先ほどの凛々しい戦闘用の表情とは打って変わった、慈愛に満ちた笑みを浮かべては言った。

「ほう。それはありがたい。」

男は外套を翻して、再び意識を失った酔っ払いの方へと向かって行った。
「ねえ、クレプスリー。精霊使いって何?説明してよ。」
少年が男の背中に問いかけたが、
「後でしてやるから、今はとりあえず”食事”をさせてもらおう。」
と一蹴されてしまった。

まずは男が、続いて少年が酔っ払いの肘の傷口に唇を当てて血を吸った。男は慣れた様子で優雅ささえ感じられる様子であったが、少年の方は男に比べると血を吸う時の動作がどうにもぎこちない。が近くで見ているというのも気になるようで、チラチラと彼女の方に血を吸いながら視線を向けた。
まだ、バンパイアになって、日が浅いのね、あの子。
は少年を見ながら心の中でそう呟いた。バンパイアは人間に比べると成長速度が遅いのだが、海賊の格好をした少年は見た目ではよりも4つくらい下である。バンパイアになった時は相当幼い年だったということは、容易に推察できた。

少年が酔っ払いの肘から口を離すと、再び男が近づいて来て酔っ払いの腕を取り、その傷口に自分の唾液を塗り始めた。バンパイアの唾液には傷口を素早く塞ぐ効果があるのだ。男は傷口が塞がった後も念入りに確かめ、ようやく良し、と判断すると、捲くった袖を下ろして手首のボタンを留めてやった。

「うむ。少々酒臭かったが、うまい血であった。」
ゴホッと小さく咳をしながら男が言った。
「感謝しますぞ、お嬢さん。我が輩たちは明日から大きな仕事がありましてな。これでしばらくは体が持つ。」
男は再びに向かって頭を下げた。それを受けて少年もペコリと礼をし、
「ありがとう。」
と言った。
「いいえ。私は何も。」
微笑みながらは返事を返す。
「それでは戻るとするか。行くぞ、ダレン。お嬢さん、ご縁がありましたら、またいつか。」
そう言うと男は海賊の格好をした少年を背におぶった。
「じゃあね。」
少年がそう言った刹那、男は再び赤い疾風と化し、の前から走り去ってしまった。広い通りにはいまだ眠ったままの男と、だけが取り残された。
男の方はあと20分もすれば目を覚ますだろう。肘の傷跡も気を付けなければ見つからないくらい目立たないものだし、自分がバンパイアに襲われたとは夢にも思うまい。そう確信したは、自分も当初の予定通り、夕飯の買い物に行くことにした。

それにしても…あの赤いマントの男の名前はクレプスリーって言うのかしら?どこかで聞き覚えがあるような気がするわ…。

そんな思いがチラリとの頭をよぎった。